2012年2月12日日曜日

中国は「人海戦術」を抜け出せるか ~労働力不足で変わる社会のなりたち~

執筆者 : 田中 信彦(たなか のぶひこ)
中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、大手カジュアルウェアチェーン中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。著書に『人事・採用の基礎知識 中国編』(メディアファクトリー)、『中国で成功する人事 失敗する人事』(日本経済新聞社)、『日本人が知らない中国人の私的事情』(講談社)など。





街中を常時巡回する、インターネットのトラブル解決人
 中国の社会はこれまで、大量の「人余り」を前提に構築されてきた。先進諸国に比べれば効率は低いが、それなりに「便利な」社会であり、「人余り」という状況に対して合理的につくられていた。その構造が、労働力不足という現実を受けて、立ち行かなくなりつつある。「人余り」社会とはどんなものか想像しにくいかもしれないので、いくつか例を挙げよう。

 私が住む上海市郊外のマンションは、インターネット接続はADSL+自宅内の無線LANが一般的だ。速度は2Mbps程度で、日本の10年前という声もあるが、日常の使用にはまあ問題はない。ところが、この回線がしばしばつながらなくなる。理由は不明だが、電信会社のトラブルだったり、自宅内の配線や機器の故障だったりとさまざまな原因があるようだ。

 そういう時は通信会社に電話して見に来てもらうのだが、この担当者が到着するまでの時間がおそろしく早い。電話して、早い時には5~10分ほどで来る。あまりに早すぎるのでいぶかしく思っていたら、事情を聞いて疑問が解けた。

 この国有大手通信会社は、主要都市の住宅地を地区ごとに細かく区切り、そこに修理やトラブル解決専門の担当者を配置している。すごいのはここからで、この担当者は、工具や部品などを自転車の荷台に積み、特に顧客からの呼び出しがなくても、常に朝から晩まで担当地域内をぐるぐると移動しつつ、待ち構えているのだという。そして、顧客からセンターに依頼が入ると、携帯電話で連絡し、すぐ客先に向かわせる。まるで警ら中のパトカーのようで、なるほど速いわけだ。

 要するに故障やトラブルの発生を前提に、即座に対応できるよう人を大量に手配し、配置しているわけだ。これを中国のお客は普通のことだと思っている。まさに労働力の豊富な社会ならではの仕組みで、こんなことを全国でやっているのだから、先進国にはとても真似ができない。

街中に目立つ「修理」の看板-故障の発生が社会の前提
 日本から来る人が中国の街を歩いて、よく言うのが「ずいぶん修理屋さんが多いですねえ」という感想である。確かにそうで、中国の街ではあちこちに「修理」の看板が目につく。修理の対象は家電製品や自転車、家の内装、トイレや下水の詰まりなど内容はさまざまだが、とにかく街には修理を生業にしている人がたくさんおり、社会の重要な機能の一部を担っている。

 中国で生活した経験のある人は実感していると思うが、この社会では「修理」という仕事なしには暮らしていくことができない。とにかくさまざまなものが壊れる。テレビや洗濯機、エアコンといった家電製品をはじめ、家のドアが閉まらなく(開かなく)なった、水洗トイレが流れない、自転車で走っていたらペダルが取れた(サドルが外れた友人もいる)、先ほどのインターネットがつながらないもそうだが、あらゆるものが次々と壊れる。だから中国人や、中国で長く暮らしている外国人は多少のことでは驚かないし、あまり怒らない。そこには壊れることが半ば当然なので慣れているという面もあるし、怒っても仕方がないと諦めている面もある。

 ただそれに加えて、中国社会の大きな機能として、迅速に修理する体制が整っていることも、人々のストレス抑制する面で大きく作用している。

 例えば、自転車は上海のような大都会ではだいぶ数が減ってきたが、それでも庶民の重要な足である。地方都市ではなおさらだ。自転車も頻繁に壊れるが、それでも日常的に機能しているのは、社会に自転車修理というインフラが整っているからである。自転車の修理屋さんが街のあちこちにいて、壊れたら、どこでもすぐに直すことができる。だから壊れやすい自転車でも安心して?乗ることができる。

 このことは「自転車が頻繁に壊れる」というマーケットがあるから、自転車修理を生業とする人が営業できるともいえるし、自転車修理を業とする大量の人々が存在するから、メーカーは「すぐに壊れる自転車」を売ることができるとも言える。まあいずれにしても芳しくないことではあるが、要するに中国の市場では「壊れやすい(安い)製品」と「修理を業とする人々」が常にワンセットで存在していて、どちらが欠けても人々は困る。つまり人海戦術による手厚いアフターケア網があるから、質の低い低価格品が売れるのである。冒頭に紹介したインターネット回線の「機動修理人」も理屈は同じである。

 一昔前、白モノ家電に強みを持つ中国の大手家電メーカーがアフターサービスの良さを強力な武器にシェアを拡大したことがあった。エアコンや洗濯機、テレビなどの据え付けや故障時の対応に大量の人員で素早くあたり、その手順を本部がコンピュータ管理することでキメ細かなサービスを実現した。これは非常に競争力があり、人手を動員しにくい日系企業の製品を駆逐する原動力のひとつになった。これも「人余り」社会のひとつの合理的行動であろう。

 こうした例が代表的だが、これまで中国の商売は、すべからく品質はそこそこのレベルで割り切ってしまい、後から起きる故障やトラブルには人海戦術で手厚く対処し、帳尻を合わせるという戦法で勝ってきた。例えば縫製工場で、とにかくまず服を手早く縫ってしまい、後から大量の人手で全量検品を行い、不良品をはじく――というやり方もこのパターンに属する。この考え方は現在も基本的には変わっていない。しかし今後、人手不足がさらに深刻化すると、人の大量動員を基本にしたモデルの維持は難しくなる。





人手不足で宅配便が遅延。営業を一時停止した会社も
 実際に人手不足で影響が出ている業界もある。この年末年始の商戦で大きな話題になったのが、「中国版宅配便」ともいうべき「快逓(クァイディ)」の遅配だ。中国でもクリスマスから年末年始は宅配荷物が急増する。ところが宅配会社が人員を十分に確保できず、倉庫に滞貨が積み上がる事態になった。会社としては責任上、なんとか処理せざるを得ず、やむなく賃金を大幅にアップして人を確保するしかなくなった。そのため宅配会社は足が出てしまい、引き受け荷物が増えれば増えるほど損失が膨らむ状況に陥った。

 この旧正月前には宅配会社の一部が耐えきれず営業を停止。政府当局は「公共性の高い運送業は旧正月の休暇中も営業すべし」とお触れを出したが、出稼ぎの従業員は仕事より帰郷を優先し、さっさと帰ってしまうのだからどうしようもない。おかげで一部のネット通販会社などは販売を停止せざるを得なくなった。

 中国はもともと「ものを届ける」という観点で見れば、意外と便利な面があった。それは、人手が豊富だったため、人海戦術でキメ細かな対応ができたからである。

 例えば、中国で市内に何か物を送ろうと思えば、「快逓」の会社に電話すると、配達員が自転車やバイクですぐにやってくる。そして、多くはその人が、そのまま届け先まで荷物を持って行ってしまう。つまり日本でいうところのバイク便のようなもので、速くて確実だ。それで料金は日本円にすれば100~300円程度である。市民はそれを長いこと当たり前と思ってきた。

 中国で暮らしていて便利なのは「出前」のサービスである。とにかく何でも持ってきてくれる。レストランでもスーパーでもパン屋さんでも文具屋さんでも、ほとんどが「外売」と呼ぶデリバリーの習慣があって、電話すれば家まで届けてくれる。そのほか、マッサージ師やクリーニング店、外貨両替にいたるまで、電話一本で家まで来る。少なくともこれまで、それは特に珍しいことではなかった。

 ところが、過去の連載でも述べたように、経済成長で農村が豊かになり、故郷の近くでも職が見つかるようになった。さらには農村の土地制度改革が取り沙汰されるようになり、農地に値がつく可能性が出てきたことなどで、農村を離れる農民が減っている。もちろん豊かになれば、きつい仕事は敬遠したくなる。そのため人海戦術が回らなくなってきつつある。現実に私の経験でも、近所の店で最近「忙しくて人がいないから」といった理由でデリバリーを断られることが増えている。

「アイさん」の不足で女性の社会進出に影響も
 一般に「アイさん」と呼ばれる家政婦やベビーシッターの不足も深刻だ。中国では家事や育児のためにこうした人たちを雇うことは珍しくない。一般の庶民は無理にしても、高学歴のホワイトカラー家庭や独身のキャリアウーマンで仕事が忙しく家事をやる余裕がないとか、自営業や経営者で所得の高い層などでは、フルタイムとは限らないが、アイさんを雇うケースはごく普通にある。

 しかし、このアイさんも農村出身者がほとんどなので、同様の理由で圧倒的な人手不足である。雇用主の間では「いい人が見つからない」「見つかってもすぐに辞めてしまう」という声は多く、賃金も急上昇している。以前のように気軽には雇えなくなっているのが現状だ。

 中国における女性の社会進出は、実はアイさんの存在に支えられてきた面がある。ことの是非はともかく、現実にはアイさんのおかげで都市部の女性が働きやすくなっていることは事実で、この仕組みが女性のキャリア形成や世帯収入の増加に貢献してきた。その構造が崩れれば、中国の家族構成、ひいては社会構造そのものに影響を与えることにもなりかねない。

 実際、私の周囲でも地方出身の女性キャリアウーマンが結婚して子供が生まれ、仕事は続けたいがアイさんを雇うほどの経済力はなく、やむなく仕事を辞めて両親のいる故郷に帰ったという例が最近あった。近くに親がいる地元出身者は都会で働き続けることができるが、そうでない地方出身者は都市部でのキャリアを諦めて、親元近くに戻らざるを得ないという状況が起きている。もちろんそこには都市部の家賃の高騰という要因もあるが、アイさん不足も大きな影を落としている。





「人海戦術」で対処してきた街の清掃、交通秩序の維持
 このほかにも中国社会が人海戦術で対処してきた問題はたくさんある。例えば、街の清掃もそうだ。以前よりは改善が見られるとはいえ、中国社会のマナー意識はまだまだ低い。平気でゴミや吸殻を路上に捨てる人は後を絶たない。しかし、それでも中国の都市部では、街はそれなりにきれいに保たれている。それは政府が大量の人員を動員し、絶え間なく清掃し続けているからである。これには本来、雇用創出という意味があるが、人手不足、賃金高騰の今となってはむしろ社会の負担となりつつある。

 かといっていきなり清掃を止めれば、街がゴミだらけになりかねない。そのため政府は高い賃金を支払って大量の清掃員を雇用し続けている。おかげで政府の支出は増えるし、民間の労働者不足は悪化するしで、悪循環である。

 街の交差点などで警察官を補助して交通整理にあたる「交通協管員」の存在も同じ構造だ。中国では車や自転車、歩行者、誰も交通ルールを守らないので、警察官だけでは交通秩序の維持に手が回らない。そこで手当を支払って大量の民間人を動員し、交通ルールの遵守を指導、監督させようというのが「交通協管員」の趣旨である。全国の主要都市で実施されており、警察官とは違う制服を着て交差点などに立っているのですぐにわかる。

 この仕事は本来、人々が交通ルールを守れば必要がないものである。ところがそうはいかないので、人海戦術で秩序を維持せざるをえない。こちらも雇用対策もあって導入された制度だが、人が足りないからといって廃止すれば交通が大混乱に陥りかねない。だから人手不足の時代とわかっていても止められない。要するに「社会の弱点を人海戦術でカバーする」という中国社会の長年の習慣は、そう簡単には改まらないのである。

階層間、地域間の格差が縮まりつつある
 このように人海戦術が使えなくなることで、社会はどのように変わってくるだろうか。また、どのように変わらねばならないだろうか。

 前述したように、人海戦術はサービスの受け手には便利で心地よいものである。黙っていても、誰かが自分のためにモノを運んできてくれる。自分のやれない(やりたくない)仕事を誰かがやってくれる。オーダーメイドのきめ細かなサービスを提供してくれる。ゴミを捨てても誰かが掃除してくれる――。考えてみれば実にぜいたくな仕組みである。

 しかし、修理する人を大量に確保できなくなれば、メーカーは「すぐに壊れる自転車」を売ることはできない。なんとか「壊れにくい自転車」をつくるしかない。家電製品も事情は同じである。それができるメーカーの製品が売れるだろうし、従来の発想のまま「値段が安ければ品質は二の次でいい」という考えでいれば、その企業は競争に生き残れないだろう。

 「出前サービス」が減る、アイさんが雇えなくなる、街を清掃する人が足りなくなる、修理を業とする人が減る――。これらの事態は、中国社会の内部で、実は低所得層が確実に豊かになりつつあり、階層間、地域間の所得格差が縮まりつつあることを示している。こうした日の当たらない仕事をする人、より正確に言えば「やるしかなかった人々」が少なくなってきたからこそ、都市部の人々が享受してきた「人海戦術によるぜいたくなサービス」が機能しなくなってきたのである。

 これは中国社会にとっては良いことに違いない。人海戦術による非効率なやり方から、より合理的で生産性の高いやり方に社会の体質を変えていかなくてはならない。それは向かうべき方向である。しかし、そうは言いながらも、慣れ親しんだ人海戦術パターンから中国社会が抜け出すのは楽なことではないだろう。それは、壊れた製品を修理するのは簡単だが、壊れにくい製品をつくることは簡単ではないからである。道に落ちているゴミを掃除することは誰でもできるが、「街にゴミを捨てない人」はそう簡単には育たないからである。

 人海戦術頼みの体質を脱却するには、人々の意識を変えなければならない。これは容易なことではない。でもそれをやらないと、中国社会は先に進めない段階に来ている。

(2012年2月6日公開)